2021年01月20日

地震対策にコア構造を採用?先建の知恵

地震対策にコア構造を採用?先建の知恵  

「松ヶ岡」工事見学会続き
「松ヶ岡」の主屋は、1854年(安政元年)に発生した安政東海地震(南海トラフ巨大地震)の後、地震の記憶も新しい中に建設が始まったので、建設にあたり幾つかの工夫がされていたので紹介したい。

耐震の工夫

”コア構造かも!”と改修工事を担当している京都伝統建築技術協会の担当者。

 平面図(図1)を見てみると、①〜⑥までの6本の柱で囲まれた日型の部分があります。



 近代建築の構造計画の手法の一つにコア構造がありますが、それと同じ構造観に立ち、6本の柱と横架材で組んで頑強に骨組みを固める、この骨組みを地震力を負担するコアとして活用しようと考えたのではないかとの推察。

 近代建築のコア構造は、エレベーターや階段,機械室,便所などを集合したエリアを建物のコア(核)とし,これを耐震壁として活用する建築構造手法です。

 「松ヶ岡」の場合は壁のない和室だから建築建築の構造コアとは一味違うが、耐震性を高めようというアプローチは同じように思う。

処で、富山県に「枠の内」という優れた伝統構法がある、石場にい置かれた6本の通柱とその柱を脚部から足固め、差し鴨居、頭貫で繋ぎ頑強な骨組み、住まいの平面計画の核(コア)として他の諸室を加えていく構法だ。

出典 日本列島・伝統構法の旅 松井郁夫氏

 「枠の内」を通して「松ヶ岡」を視ると、「松ヶ岡」のコア(?)は「枠の内」に比べ横架材の縫い方が甘いと感じる。
 柱はすべて通柱で石場に置かれ、脚部を足固めで固めてはいるが、一部は貫で代用され、差し鴨居も半分だけと少々心もとないと思ったりする。

 あるいは、①と⑥の柱の位置が三尺ずれているのはなぜだだろう、浅学な僕なら①と⑥の柱を三尺、左に移した位置でコアを組むんだけどと思ったりする、きっと先建の計り知れない知恵がそうさせたのだろう、今後の工事の進捗が楽しみだ。

 来る1月23日(土曜日)に一般現場見学会を開催するのでご興味ある方はどうぞ。。
  

2021年01月16日

吸い付け残はシャドーワーク・松ヶ岡で思う

吸い付け残はシャドーワーク・松ヶ岡で思う。

「松ヶ岡」とは掛川の発展に尽力した偉人(山﨑氏)の邸宅の通称だ、掛川市民が彼らの業績に敬意を表し、親しみを込めて「松ヶ岡」と呼ぶ。
 「松ヶ岡」は国の重要文化財指定に向けて保存工事中、昨日現場見学会が開催された。

「松ヶ岡」の主屋は安政3年(1856年)に建設され、その後何回となく増改築が繰り返されて現在に至っている。

 
 
 主屋の北側に、後に増築された風呂・便所棟がある、ここの屋根の工夫が秀逸なので、まずはここからお話を始めたいと思う。

 さて何が秀逸かというと、野地板の反り止めだ。

 風呂は当然のことであるが湯気によって天井裏も湿度が高くなる、そうすると野地板の天井内面は外気側面より膨張するので外気側に反る。
 屋根材の下地である野地板が反れば、屋根材のどこかにひずみを生じて雨漏りに発展する可能性がある、当主も大工もこれまで随分と頭を痛めて来たことだろう。

 そこで大工達の行った工夫はこうだ。

野地板が反らないように野地板に吸い付き桟を施した、吸い付け桟は板の反り防止で施す加工で、それ自体は驚くほどのことでもないが、野地板の外気側のこの工夫は屋根を施工すれば一生日のみを見ることはない。

 文化財としての修復工事だからこそ、この工夫は日の目をみを見たことになる。
現代なら透湿抵抗の高い材料で湯気を遮断して終わり、なんとも味気ない行為だと嘆息を漏らさざるを得ない。
 
 以前シャドーワークが日本製品の高品質化に大いに貢献していると述べたことがあるが、吸い付け桟も木の特性に従ったシャドーワークにあたる、そのひと手間、ふた手間が「松ヶ岡」の質の向上と長寿命化に役立っていることは明らかだ。

 誇り高い現代人にとっても見習うべき事例と思う。
  

Posted by pasarela at 16:34Comments(0)●伝統的構法に学ぶ

2019年06月03日

貫の再発見 

貫の再発見 

 明治期以前の木造建築は、地震などの水平力に対して主として柱の曲げ抵抗に頼り、変形に対しては、土壁や厚板が変形しないように踏ん張る、いわゆる土壁や厚板の剪断力で抵抗してきました。
 
 1995年頃から日本は高度成長期の時代に突入したが、そこでは、地方圏から大都市圏への大量の人口移動が生じ、そのため、住居を短期間・大量に建設する必要に迫られて、生産と構造の省力化はその図られた。

 乾式工法や斜材である筋交いを抵抗要素とする軸組工法が一気に普及したのはこの時期、筋交い構造は、筋交いの圧縮力(又は引張力)などの軸力で踏ん張る軸力系だ。

 木造の耐震構造は曲げ系、剪断系、軸力系は構造の3つの基本形からなり、戦後主流となった在来工法で主役の筋交い構造といえども、通し貫や差し鴨居、足固めなどの柱を横に繋ぐ材は耐震構造に不可欠なプレーヤーである。
 
 にも関わらず、構造と生産の省力化の過程で、日本の伝統的構法の大事な約束事を疎かにし、柱を横に繋ぐ足固めや、差し鴨居を追放してしまった。




 常に日本の伝統的構法の優位性を唱えてきた構造設計家の増田一眞氏は
  「いまや、伝統の組み手や通し貫の基本的手法さえ知らないで木組みと称して、すべて金物と接着剤だけに頼る大工が増えてしまった。」と
   現状を憂いつつも、建築木造構造の軌道修正を訴え続けている。

在来工法の架構、垂直材が大半

伝統的構法の架構、水平部材が多段状に通り、すべての柱が一体に結合されている。



 13世紀の初め、俊乗坊重源が大陸より大仏様(を使い軸部を固める)という構法を日本に伝えて以来、約千年弱、大仏様はその豪放な構造から日本では受け入れがたく、浄土寺や東大寺の南大門にその姿を残すのみであるが、の有効性は捨てがたく和様に取り入れられて現在に至る。
  

2018年10月14日

木造の弱点を補う技  

 木造住宅は木を組み建ててつくる、垂直に立てる柱と、柱を横に串刺しにする横架材と呼ばれる土台、梁、桁、差し鴨居、貫がそれぞれ士口(接合部)で緊結される。この木組みの構造は3つの弱点を抱えていた。

 第一に、有機質の木であるがゆえに、士口の耐力が小さい(RC造やS造に比べた)こと、第二に横架材はどこかで繋がなければならず、強度が低下すること、第三に、腐ること、腐ると木材の耐久性が悪化して耐力が低下する。

第一の課題は、士口の数を頼みにすれば、木材同士のめり込みにより、粘り強く安定した構造体となるをみいだし、
第二の課題は、割継ぎという継ぎ手を編み出して、木材の継ぎ手の弱点を補強した。

金輪継ぎ手
追掛け大栓継ぎ手

 「木構造の基本構成図」からも接合部の大切さが良くわかるだろう。

     ヤマベの木構造  山辺豊彦  エクスナレッジムック




下記に継ぎ手の実験による荷重変形曲線と引張り耐力を示す。
図はいずれも、いずれも「大工塾」加力実験ノートより抜粋


図1)追っかけ大栓継ぎ手
  引張り耐力が最も高い、外周部の梁は地震時に大きな引張り力が発生するのでこの継ぎ手が理想。


図2)金輪継ぎ手
  破壊形状は母材の剪断破壊と栓(15mm角)ののめり込み破壊の2種類の破壊形状がある、上の荷重変形曲線が母材の破壊による、下が栓の破壊によるもの。


図3)鎌継ぎ手
  プレカットの継ぎ手はほとんどこの継ぎ手、金物の補強が前提となる継ぎ手。


  

2018年10月05日

墨付け・王者の術  

我々がつくる木造建築は、仕口や継ぎ手の加工に”手刻み”を推奨しています、でも、手刻みが、大工の伝統的な技だから残したいと云ういう情緒的な感情論や、建築を造る過程の差別化を目論んで”手刻みを”推奨しているのではありません。

 大工の手刻みは、当然ですが材木に付けられた”墨(印や記号)”を目印にして刻んでいきますが、その”墨”は単なる目印で、たかが”墨”と思わないでほしい。

 なぜなら墨付けは大工(おおたくみ)の術だからだ。


日本の木造建築は、材料に墨付けして、それを刻み、組み立てる、ユークリッド幾何学を生み出したギリシャの精神をみれば明らかのように、この一連の行為は幾何学的思考が必要です。

 さらに、「あらかじめ木材を刻んでおいて、組み立てる。」という方法は、幾何学的アプローチの他に、かなり高度な構想力が要求さる。


王者の術
 実際、”プラトンやアリストテレスは、建築(アーキテクト)を王者の術と呼び、あらゆる技術の上位にあるものとした。”と云われています。
 
 「だから”墨付け”は、単にノコギリで伐ったり、鑿で削ったりする個々の単純な作業とは質的に異なっている。
 それは一つの構想にもとづいて、個々の作業を組み込んでいく大工(おおたくみ)の技であり、アリストテレスの云う棟梁としての術である。…」
              木の文明の成立(上) 川添登  日本放送出版協会 
    
 日本書紀の雄略朝に闘鶏御田や猪名部真根という大工(おおたくみ)が登場する、彼らは民衆からその超人的な術を賞賛され、大王雄略はそれに嫉妬し殺害を企てたとある。

 "墨付け"は、王者の術を体現する術なのだ。

  

2017年08月18日

加寿喜と書いて”かずき”と読む 

加寿喜と書いて”かずき”と読む  

 このお盆休み、美濃・郡上八幡・高山を巡った、何処も伝統的建造物群保存地区が設けられ、歴史的な町並みの保存が図られている。

”かずきの間と言います。”
”かずき?どんな意味ですか?”
”加寿喜と書いて、かずきと読みますが、意味は分かりません。” 

意味ありげに置かれている調度品にも惹かれて、さらに質問。

”将棋の盤のような置物は?”
”飛弾高山は家具の産地、地元のデザイナーがデザインしました。”
”かずきの間は昭和43年から公開されました、それまでは非公開だったんです、で、それを記念して置かれています
。”

断片的な会話で、意味がもう一つの不明でしょうから詳しく。

 先の会話は、現在民芸館として公開されている高山市の伝統的建造物群保存地区にある日下部家の受付の男性との少々頼りない会話の一部だ。

日下部家は江戸民家の集大成とされる民家、多数の座敷があるがその中の一つ、奥座敷の手前に8畳間の座敷があり、かつて「かずきの間」と呼ばれていた。
 日下部家は戦後、ある事情から、当主の意向で生活しながらも民芸館として一般公開したが、この”かずき”と呼ばれた座敷は非公開だった、そして、昭和43年に公開に至った。

”かずきってご存じですか、加 寿 喜と書きます。”
”そうね、私が子供の頃、おばあちゃんは「かずき」の間にいるよ!と聞いた記憶があるわね。でも、なぜ「かずき」というか解らないわね。”
 喉を潤す為に立ち寄った日下部家に隣接するカフェ、答えてくれたのは、かつてカフェのマドンナ、現在70歳代前半の女将さん。

 どうやら”かずきの間”とは、女性それもおばあちゃんと呼ばれる高齢の女性の居場所だったようだが、それ以上は不明、宿の女将からも収穫無し、それからネットで検索しても出てこないので、一端あきらめる。

 掛川に帰り早速調べる。
 ”かずき”発見、「民家は生きてきた 伊藤ていじ 鹿島出版会」以下少々長いが引用する。
 ”他の地方にない室の名前に、「かずき」というのがある、「かずき」には、ふつう加寿喜」という字が与えられる。
 けれど「被き:かずき」の意味で、衣装をかえ室である、しかし同時のこの室は家を支配する者の居室であった。
 日下部家には、おばあさんがいた、この部屋には番頭も入る事が出来なかった、金庫はこの部屋の押入にあった、まさに、「かずき」は家長権を象徴する室であった。”



 ”なるほど、納得!”
一般公開はしていたが大女将の居室は日下部家の象徴、だから見せられなかったんですね。






  

Posted by pasarela at 18:44Comments(0)●伝統的構法に学ぶ民家

2017年06月13日

最新建築が伝統建築に近づく

最新建築が伝統建築に近づく

 下の画像は「空調も換気も断熱材も無いミニマムエネルギー・オフィスビル」と日経アーキテクチュア紙に紹介された「Baumschlager Eberle」という設計事務所のヘッドオフィスのブロック造のビル。


 この一見何の変哲もないブロック造のオフィスを、なぜ取り上げたか。

 ”この建物は、建築家自らが長年興味を抱いてきた点、
(1)年間を通して室内を快適に保つため、躯体自体の断熱性能と蓄熱性能を高め、内部発熱(人、機器、照明など)のみで暖房を賄う。
(2)冷房・換気は開閉可能な窓だけで賄う。

 といった試みを行った結果

”建物のたたずまいや構造のあり方などは、アルトバウ(Altbau=古い建物)と呼ばれるドイツの古い建物に近づいている。”

 と設計者がコメントしている点に興味を覚えたからだ。

■断熱材を使わずに断熱

 驚いた事に、このオフィスビルの第一の特徴は断熱材を使わずに高い断熱性能を有しているようだ。

”どういうこと?”と誰もが思われるだろう。

 答えは、オフィスビルを構成しているブロックにあった、空気層のある断熱ブロックを使う事で、オフィスビルの高断熱化(U値=0.41)を実現していた。

 断熱材は微細な空気層がを無数存在する方が性能が高い、気体は熱を伝えにくい(気体での熱の移動は対流が原因、なので、動かない空気が存在すると断熱性能が高まる)点にヒントを得たようだ。

建物の名前も2226とユニークだ
”室内の快適温度の範囲を意味する。暖房や冷房を使用せず、また躯体に比べて寿命の短い断熱材も一切使用せず、構造体だけで年間を通して室温22℃から26℃を維持するという意思”を表して命名したそうだ。

さらに興味深い事は
”断熱材を使わずに断熱とか、石油・発泡系断熱材の利用低減、リサイクル可能な材料の採用など、省エネ対策だけでなく、建築を構成する建材そのものの環境性能に意識がいっていることや、想定建物寿命を100〜150年にしている、その結果、現代建築が古い石造建築に通じるものに回帰した”と述べている点にある。

■最新建築が伝統建築に近づく

 日本では、ほんの70年ほど前までは、地球環境とかサステイナブルとかグローバルな理念を振りかざさなくても、当たり前のことで、それを支える構法や技術は存在した。
 
 近代の建築は、機能性や合理性を理念に掲げ、科学技術をあまりにも信奉するあまり、近代以前の構法や技術、材料を軽視してきた嫌いがある。

  地球環境とかサステイナブルなどのグローバルな理念を旗印にしたとき”建物のたたずまいや構造のあり方などが、古い建物に近づく”とは愉快なことだ。

 でも、そこに気が付いたときには”それを支える仕組みや職人がすでに散在しない”なんてこともあり得る点が気がかり。

  

2016年09月30日

”鬼師鬼秀の嘆き 

 ”最近の瓦は捻れも少なく行儀が良くなっているな、でも……”

”でも…”飲み込んでしまった言葉は何だったのか。


 建築というモノづくりの潮流は、ご多分に漏れず、近代化のテーゼであるところの”効率よく生産性高く”である。
 ”効率よく生産性高く”であるために、建設工期は短く短く、バラツキのない材料で、均一さが求められてきた。

 屋根も瓦も、これから逃れることは出来ない、”短くバラつかない、さらに軽く”と要求もアップし、施工は土葺き(置土葺き:瓦の下に土を置いて瓦を据える工法)から土を要しない引っかけ桟葺きに変わってきた。

 瓦も土のクッションが無くなったため、現場では、捻れも少なく行儀(癖の無い)のよい瓦が求められた。
 ”規格から一分の狂いは返品”の時代となった。
        一分:「いちぶ」尺貫法の長さの基本単位。、一分=約3.03mm


 昔、瓦職人は不揃いな瓦を「なだめてすかして」納め、部分と全体が調和するラインやシルエットで葺き上げた、捻れ寸足らずの瓦でも、ちゃんと収まる場所と役割を見いだしてきた。

”まー 今の時代、規格外は売れませんわ!”……これは建材なら納得もしよう、でも人間だったら”どうーなの”

 冒頭の”最近の瓦は捻れも少なく行儀が良くなっている、でも……”の、飲み込んでしまった答え
 ”でも……不揃いを生かす処に知恵が生まれる、癖を生かすからおもしろく、独創的なモノが出来るんだ…人間社会も同じだろう!”

  

Posted by pasarela at 19:10Comments(0)●伝統的構法に学ぶ

2016年09月22日

遠州の鬼師・鬼秀

 昨日、仕事ほったらかして、遠州鬼秀工房(鬼瓦制作)初訪問。

”てくてく太田川”(遠州を縦断して遠州灘に注ぐ太田川水系の魅力を発信している)の25日の取材に先立ち、(無理を言って)工房の窯だしを拝見させていただいた。 

 僕は編集局員に名を連ねるが、出席率1%、愛を叫ぶだけのROM…m(_ _)mスマン





 鬼秀さんは、僕の好きな顔立ちだ…前回ブログを見てね!。
 味わい深く安心感がある顔の口元はよく動き、気さくだ。

 ”こういう職人もいるんだな”
 いやいや、鬼秀さんは立川流の正当な伝承者、職人と言ったら失礼か(-_-;ウーン。

 かつて、民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学である柳宗悦は、こんなこと言っていた。
 ”世界に冠たる日本の美術品、その美術家の仕事と言うものは、職人芸の模倣に過ぎない”。


 
 ”何時か、鬼秀さんが唸るような仕事、一緒にしてみたい”と思い工房を後にした。
 
次回は、”鬼師鬼秀の嘆き=行儀の良さを求める事は理にかなっているか?”です。

  

Posted by pasarela at 14:20Comments(0)●伝統的構法に学ぶ

2016年09月07日

絵になる木小舞い土壁

 安易に建材を使用して、住宅由来の産業廃棄物(ゴミ)を将来の負の遺産としないつくりかたを原則とする「時ノ寿木組みの家」のリフォーム版。

これまで、
 日本の中心から”土壁に愛”を叫び
 掛川から”土壁の家を増やそう”を叫び、
”土壁の出番”であることを叫ぶ。

叫んで見たが、それほど反響はない !(・ω・`寂)...........

でもあきらめずに叫んでみる
”リフォームを通じて土壁をふやそう”

 で今日の話題は、掛川のリフォームも終盤(2週間ほど前にも同じことを言っていた記憶があるが!)に近づき土を塗る(荒壁を掛ける)準備が出来たという話題。

 ”実は、先週、土壁塗りイベントを企画したが、参加者なしで中止 ガ━━(゚д゚;)━━ン!!
荒壁掛けも今週末に延期になった。”

 現代の家づくりでは、なかなかないお目にかかれない光景がこれだ!





youtubeにアップした木小舞+トンボの室内の光景→https://youtu.be/zvLHkTLgS6A

トンボ(ひげこ)天井や壁の亀裂、剥離防止に木小舞下地に打ち付ける:材料は麻 

 
ちなみに掛川のリフォームの仕上げは

床:杉板厚30mm(一部三和土)
壁:土壁下地漆喰磨き
天井:杉板厚12mm一部漆喰仕上げ