2023年06月04日

花明かり 「醍醐」

花明かり 「醍醐」

ヨシコ
“ワォー 「桜」尽くし  桜の饗宴ね!”

そこかしこに「桜」が華やかさを競っている。
山種美術館・「富士と桜」展の桜の咲くコーナーは桜でいっぱい、桜が“観て!観て!”と語り掛けてくる

 

ヨシコ
“でも、「醍醐」(*1)は不思議な明るさね……薄いベールを透かして明かりがこぼれるような!”
クニオ
“そうだね、桜って「はかなく、一瞬の輝きに豪華絢爛さを競う」って感覚が強いけど、「醍醐」はちょっと違うかなって感じるね”

確かに「醍醐」は陽光の下で、咲き誇るって感じではなく、桜の花自身が放つオーラ(花明かり)がほのかな明りとなり、画全体が薄いベールで包まれたような感覚を覚える。
……穏やかに、澄んだ風情と言っていいかもしれない。


ヨシコ
“えーと!  確かに「穏やかに、澄んだ風情」なんだろうけど …… でも私には、薄絹を透過した、ほのかな光が満る表情 …… 素朴さとか清楚な美しさとか そんな風に感じるわ”
クニオ
“そういえば 確かえーと ほのかな光って「漆の艶の特徴」(*2)だって聞いたことがあるな”

少し考え込むクニオ

花明かり 「醍醐」
出典:「富士と桜」展のパンフレットより

クニオ
“それって「葆光!」だよね   桜・幹・土塀が葆光で満たされている!”
ヨシコ
“でも、本来、葆光は光を包み隠して、暗闇が、ぼんやりと、あいまいな光に満ちた様を言うんじゃない?“
クニオ
“僕には、絵の背景は暗闇に包まれているって感じるんだけど  だから土塀の桜だけがほのかな光に包まれている”
ヨシコ
“そう云えば 確かに!”

葆光は包まれた光、ほのかに内にこもる光という意味がある。
一方、人間の智が到達した絶対の境地という意味から=優れた知恵・才能を隠して表面にあらわさないことに例える。*(2)……とある。


ヨシコ
“だとすると、土牛は日本画の高みに達したってことかな”
クニオ
“うーん~ ” いずれにしても、傑作の一つであることは間違いない。


─今年も醍醐を訪れ、昔と少しも変わらぬ美しさがあり、醍醐の花見の宴などを思い、写実を離れて、象徴的な桜を表現しようとして描いた─とは土牛の言葉。*(3)
 


クニオ
“ヨシコさん、あなたにも葆光に例える優れた知恵・才能があればご披露ください”
ヨシコ
“へそくり  かな”
クニオ
“(○´・ω・`)bOK! ラジャー”

二人は周囲の迷惑を顧みず、ワイワイと境地がなんであるかの持論を述べるのであった。

アンタ、ここは美術館ですから!  残念!!  懐かしい波田陽区です。


(*1)醍醐 奥村土牛(1889年2月18日-1990年9月25日)
現代日本の代表的な日本画家の一人。本名:奥村 義三(おくむら よしぞう)
醍醐:制作年1972年、京都醍醐寺のしだれ桜を描いた作品で、奥村土牛の代表作の一つ。
 恩師小林古径の七回忌法要の帰り道に、醍醐寺の三方院に立ち寄り、土塀の前のしだれ桜をスケッチ。  山種美術館

(*2)葆光 輪島屋善仁(わじまやぜんに)  輪島屋善仁 | Facebook
(*3)日本美術院百年誌 再興第57回院展より
鈴木進 三彩293号


の家 #木組みの家 #土壁漆喰  #民家再生  #自然素材で健康的な暮らし #省エネ住宅 #愛がある #手間かける時間かける #古民家に学ぶ  #気候委風土型住宅 #リフォーム #住宅医  #掛川市 #菊川市 #松ケ岡 


同じカテゴリー(●徒然に思う)の記事
Steve Jobs Japan 
Steve Jobs Japan (2023-08-16 18:39)

能「清経」  
能「清経」  (2022-10-03 19:29)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
花明かり 「醍醐」
    コメント(0)