2019年06月28日

クライテリア 

クライテリア  

 クライテリアとは設計者が持つべき設計の判断基準のこと。

 誰でも仕事や生き方で、これだけは譲れないということがあるのではないか、その譲れない規範をクライテリアといっても良いだろう。

 建築基準法は、建築物が備えるべき最低基準を示しているに過ぎず、これを持って健全な建築物を建築できるかと云えば否だ。

 建築物の構造の安定性、耐久性、美観性、資源性、環境性、風土性の各要素の何を重視するかは設計者のクライテリアの範疇と云って良い、もちろん経済性を考慮しない設計は寝言に他ならないことは当然である。

 上記の要素のうち、構造の安定性は建物にとって命と言っていい、建築物には、常時、長期的に作用する重力と、台風とか地震とか臨時に短期間に作用する水平力がある。

 さてT邸は2階建で1階にはいわゆるLDKが大きな面積(4.55m×7.28m)を占めている、この大きな空間の構造安定性をどのように確保するかずっと悩んできた。

 悩んだ末、背骨となる太鼓(末口300)の敷梁を掛けて、成8寸の梁を3尺間隔で渡り腮で掛け渡すこととした。

 渡り腮は伝統的な仕口(接合部)で木鼻が外壁から突き出るために、雨漏りと和風の趣になる危惧からクライアントから拒否されたが、粘り強く説明し、実例を観ていただいて了解を得た、少し不満げであったが、優先度から判断していただいた。

 もちろん在来の仕口でも可能であろう、しかし、在来では掛け渡す梁が単純梁となってしまい長期的な歪みが大きくなること、仕口における梁を引き裂こうとする剪断抵抗が小さいこと、仕口を金物に頼ることが不安で採用できない工法と判断した。


木組み見上げ

木組み見下げ

西面




  

2019年06月25日

ヒガキとモミジ

ヒガキとモミジ

 ヒガキとは、荒壁に刻んだコテ跡のこと、土の乾燥の促進と中塗り土が荒壁の肌に馴染みやすく(つきやすくする)とも云われているが。


 しかし一方、このリズミカルに刻まれたヒガキを目にしたとき、左官職人の手仕事の心意気を感じとれるのは、一人私だけではないと思うがいかがだろうか。


 
 モミジは、その鮮やかな紅葉の代表格だ、左官壁はそのモミジを写し取る事もできる。
壁に写し取られたモミジといえども、時間と共に風化して壁の中に消えていく。




 写真の写し取られたモミジは、早晩、壁の中に隠れてしまう運命にあるが、この建物が使命を全うしたとき、壁の中から現れるかもしれない、左官仕事はそんなロマンが隠されている。
  

2019年06月18日

6月18日の記事

柔らかい仕切 筬格子 

 日坂川坂屋 「通り土間」と「なかのま」を軽く、薄く仕切る筬格子と筬格子越しにみる行灯。



  「千本格子」とも呼ばれる細い格子を筬に配した格子戸、内外の気配が素通しで察せられるので心理的間仕切りとも云われる。

  あまりにも日本的な懐かしい光景、こんな風情が住まいから、街並みから無くなって久しい。
  

Posted by pasarela at 18:56Comments(0)

2019年06月03日

貫の再発見 

貫の再発見 

 明治期以前の木造建築は、地震などの水平力に対して主として柱の曲げ抵抗に頼り、変形に対しては、土壁や厚板が変形しないように踏ん張る、いわゆる土壁や厚板の剪断力で抵抗してきました。
 
 1995年頃から日本は高度成長期の時代に突入したが、そこでは、地方圏から大都市圏への大量の人口移動が生じ、そのため、住居を短期間・大量に建設する必要に迫られて、生産と構造の省力化はその図られた。

 乾式工法や斜材である筋交いを抵抗要素とする軸組工法が一気に普及したのはこの時期、筋交い構造は、筋交いの圧縮力(又は引張力)などの軸力で踏ん張る軸力系だ。

 木造の耐震構造は曲げ系、剪断系、軸力系は構造の3つの基本形からなり、戦後主流となった在来工法で主役の筋交い構造といえども、通し貫や差し鴨居、足固めなどの柱を横に繋ぐ材は耐震構造に不可欠なプレーヤーである。
 
 にも関わらず、構造と生産の省力化の過程で、日本の伝統的構法の大事な約束事を疎かにし、柱を横に繋ぐ足固めや、差し鴨居を追放してしまった。




 常に日本の伝統的構法の優位性を唱えてきた構造設計家の増田一眞氏は
  「いまや、伝統の組み手や通し貫の基本的手法さえ知らないで木組みと称して、すべて金物と接着剤だけに頼る大工が増えてしまった。」と
   現状を憂いつつも、建築木造構造の軌道修正を訴え続けている。

在来工法の架構、垂直材が大半

伝統的構法の架構、水平部材が多段状に通り、すべての柱が一体に結合されている。



 13世紀の初め、俊乗坊重源が大陸より大仏様(を使い軸部を固める)という構法を日本に伝えて以来、約千年弱、大仏様はその豪放な構造から日本では受け入れがたく、浄土寺や東大寺の南大門にその姿を残すのみであるが、の有効性は捨てがたく和様に取り入れられて現在に至る。