2020年10月16日

退屈から学ぶものはあるか その2

 退屈から学ぶものはあるか その2

コロナ緊急事態宣言中、都市部では”早く学校の再開してほしい、自由に遊びに行ける環境になってほしい、ステイホームって犬じゃなんだから”というボヤキが出るほど、家族はストレスを感じる生活を送っていたと聞く。

 コロナ禍で明らかになった問題は、家族といえども四六時中顔を顔をあわせていたらストレスを強く感じるということでなく、家族間でさえ、以外に会話が弾まないと言うことではないだろうか。

 原因をスマホに求めては酷だが、普段は、各人がスマホに見入っっている光景にそれほど違和感を感じることなくなく過ごしていたが、コロナ禍で一転。
 濃密な一日、一週間、一カ月と過ごすほどに、家族間のコミニュケーションが弾まないことにいら立ちを募らせた家族も多いのではないか。

 コロナ禍で表出したゴタゴタはコミニュケーションを図ることでしか解決しないということにやっと気づいたのだ。
 家族間のストレスもコミニュケーションを図り、一定のルールの上で、解消されたという体験があったのかもしれないし、キッチンにいる母親が子供室にいる息子や娘にスマホをで夕食や昼食を知らせるというような光景が頭に浮かび、家族の絆が薄れることを恐れたのかもしれない。

退屈から学ぶものはあるか その2


 かつて、日本の家庭では、相手の気配を察して、それによって自分の立ち振る舞いもコントロールする、そんなコミュニュケーションを成立させていた。

 しかし今や「気配を感ずる」や「察する」では家族の絆は保てない、言葉で伝える努力、コミニュケーション求められる時代なのだ。


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