2013年05月28日

住まいの潮流 プロローグ その4  ハウスメーカーそのクローズな家づくり

「時ノ寿木組の家」

NPO法人時ノ寿の森クラブと協働した山から始まる家づくりの提案


住まいの潮流 プロローグ その4 
    ハウスメーカーそのクローズな家づくり
。    
 
 日本にはハウスメーカーなる世にも珍しい業態がある、世界では、地域でかつての日本がそうだったように、地場産業としての地域ビルダーは存在するが、ハウスメーカーのような存在はない。

 最近、よく顔の見える関係などと言って、信頼と親しさをアピールすることが多いが、ことさらアピールなんかしなくても、ほんの少し前までは、家づくりはそう言う関係だったのだ。

 「ハウスメーカーの武器は、高度な技術力や生産管理能力ではなく、規模や販売力、そしてそれを推進するイメージ戦略とクローズ戦略だと」南先生はいう。

 イメージ戦略=ハウスメーカーの商品イメージの形成=ブランド化は一朝一夕にはなしえない、だからこそ、これでもかと膨大で執拗な宣伝を送り続ける。
 だから多量に流通させ販売・建設しても、価格は下がらない、ていうか、多量に販売・建設しないと価格を維持できない、そんな経営体質になっている。

 日本では「個性=人と違うこと」だといわれることが多いと思うが、これもハウスメーカーのイメージ戦略が功を奏したのかもしれない。

 彼らによれば、住宅の差別化=オリジナル化なのだ、それは性能や質の差別化=オリジナル化でなく、住宅を造るシステムや施工、部品、材料、調達ルートのすべてをさす。

 その結果、家づくりは、何から何まで囲いこまれる=ハウスメーカーごとのクローズドな環境…想像してもらいたい…ハウスメーカーごと住宅を造るシステムや施工、部品、材料、調達ルートが違う、恐ろしく複雑でわかりにくいと思いませんか。

 そこに囲い込まれた住まい手は、コストも施工者も部品も材料…あらゆる”もの”、”こと”が理解できずに、結局お任せ状態になる。
 
 …例えば天井の吸音板を壊したしよう、住まい手はその吸音板がどこのメーカーどの製品なのか調べなくてななりません、そんなことを住まい手が出来る訳ではありませんから、それをハウスメーカーに電話することになります、そこまですれば立派、面倒だといってそのまま壊れたままにしておくが多く、家はいったん出来上がると、あちは住まい手にとって遠い存在になってしまうのです。…” 
南雄三 「資産になる家・負債になる家」建築技術P35

 結局、ハウスメーカーがつくる住宅は、機能はたしかにそろってはいる、でもそれはシステムキッチンなど住宅設備や建材の性能によるもの、時間がたつと機能やデザインは古くさく感じるようなレベル、だから、すぐに価値が下がってしまう。新築時点が一番性能の高い家って、つまんなくありませんか?

 こうして、日本の住宅は多様な発展を遂げたが、資産とならない家づくりに終始した。
では、建築家と呼ばれる設計者たちは資産になる家をつくってきたか?
この点は次回に。

次回ブログ プロローグ その5 設計者とつくる自分勝手な家づくり   
です お楽しみに! ヨロシク(゚0゚)(。_。)ペコッ
  

2013年05月25日

住まいの潮流 プロローグその3  住宅政策がもたらしたもの

「時ノ寿木組の家」

NPO法人時ノ寿の森クラブと協働した山から始まる家づくりの提案


住まいの潮流 プロローグその3 
           住宅政策がもたらしたもの



 さて、今日は南先生の指摘する、住宅政策がもたらした光と影に付いて書くつもりだ、でも、専門家でないので、日本のこれまでの住宅政策について、熟知しているわけではありません、よって意味不明、 腑に落ちない あるいは 不得要領の文章になることはご容赦ください。

 1986年、アメリカが要求する内需拡大策に応えるため、当時の中曽根総理大臣の肝いりで「国際協調のための経済構造調整研究会報告書」いわゆる「前川リポート」が提言された。
 リポートでは、輸出主導の経済構造から、内需型の経済構造への転換を提言し、その要として住宅政策が取りあげられた。

 要は、内需主導の経済構造における個人部門の活性化の必要性、そして個人部門の牽引役として住宅を指名したと言うこと。
 住宅産業は裾野が広い産業 (林業・セメント・鉄鋼・家電・家具 etc.) 、これらの産業は内需の柱だというわけだ。

 前川リポートで初めて?、内需拡大の必要性に迫られて、提言という形でまとめられたが、それ以前を含め、住宅は経済と密接な関係にあり、時の政権の景気浮揚の手段として住宅政策は語られた。

 このため住まいは、憲法の文化的で健康的な生活を保証する生存権の具体化でなく、商品・大型の耐久消費物であり続けた、今も。 

 それでもこれまでは、資産にならない家であっても、戸建てのオーナーという「庶民の夢」を叶える、持ち家政策は細々と続けられてきた。

 で、現在の状況はどうだろう。
 日本は持ち家政策を捨てと言うことだろう、例えば、安定した雇用は住宅取得医の要だが、有期雇用形態の増加は、日本人の夢を奪いつつある。

 グローバルな社会では格差は当然で、持たざる物はホームレスになるのも致し方ないのだろうか。
 いやいや、住宅は『人間の生存に欠かせない基盤』であるはずだ。

 住まいに対する世界の流れは、1996年にイスタンブールで開催された国連人間居住会議で宣言されたように、”適切な住居に関する権利”すなわち居住権であるとしている。

 そして、その行動指針では『すべての人々が健康で安全で入手し安く、低廉な適切な住居を持ち、住居で差別されず、保有権の法的保証を受けられるようにする』という目標を達成するよう求めている。

 ところが日本はこれに逆行しつつある。

 例えば、セーフテイネットである生活保護を受ける場合、生活保護は、基本的には手持ちの資産価値(一律ではないが、住宅を所有したままの受給は困難)のあるものを処分した上で申請する、つまり、資産価値のあるものを処分しても生活費が足りないということで、生活保護を受けることになる。

 こんな時代に住まいはどうあるべきか、市場経済の中で住まいは最後の砦となるべきではないか。

 これは私たち「時ノ寿木組の家」の家づくりの欠かせない視点でと言える。

 次回は、プロローグ その4 ハウスメーカーそのクローズな家づくり。  
です お楽しみに! ヨロシク(゚0゚)(。_。)ペコッ
  

2013年05月23日

住まいの潮流 プロローグその2  建築基準法の役割:最低の基準と生存権 

「時ノ寿木組の家」

NPO法人時ノ寿の森クラブと協働した山から始まる家づくりの提案


住まいの潮流 プロローグその2   
     建築基準法の役割:最低の基準と生存権   

今回は固い話なので、読むのが面倒な人はスルーしてください。

”日本は、戦後約70年ほどかけて、なぜ資産とならない住まいをつくる続けたか…”と言う問いに、まとめると4つに収束する。

 ”住宅政策、ハウスメーカーのクローズドな家づくり、自分勝手な家づくり、土地に対する意識”の4つと南先生は指摘する。

 しかし今日は、南先生が取りあげないが、原因をつくったと思う、もう一つの理由である建築基準法の役割について考えてみたい。

 建築基準法第1条第1項では
 「この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、持って公共の福祉の増進に資することを目的とする。」 と規定されている。

 耐震偽装事件で知った方も多いかもしれないが、建築基準法は「最低の基準」を定めているにすぎない。
 その成立の歴史を紐解くと、「最低の基準」は法案の変遷なかで、最終段階に付け加えられ、前述のような条文となった。
 
 草案はどうだったか。
 「この法律は、建築物及びその集団に関する基準を定めて国民の生命、健康、財産を保護すると共に、社会福祉、産業能率及び国民文化の改善、向上に資することを目的とする」

 草案と成立した条文の大きく異なる点は、
1)最低の基準の挿入。 
2)公共の福祉に関する概念規定の抽象化。
 の2点と考えられる。




 1)最低の基準に関しては、当時の建設省の担当者は次のように回想している。

 ”基準は法律で定める基準の一つの標準にすぎない、地方自治体の自主性によってこの基準を再検討する機会を与えることで、地方自治推進を指向する意味をもたせるものであり、労働基準法の第1条とまったく同じだ”と思った。
                       岡辺重雄「建築基準法の立案過程と背景」日本建築学会

 しかし、最終的に地方自治を促進する条項は削除され、結果、建築基準法の運用において、”この基準を理由として個々の建築の水準を最低限のものとする”、”その向上は図りがたい”という意識を作り出したことも事実だろう。

 ”資産になる家”の評価基準である質の確保がおろそかになった点で、この「最低の基準」の意味するところは大きい。
 より以上の水準を目指す動機つけが明確でないならば、「顧客満足主義」とか「理想の家をお手伝い」とか言ったって、住まい手には、その品質がまるっきり見えていない家づくりを許してきたとことになる。
 

 次ぎに2)公共の福祉に関する概念規定の抽象化について考えてみる

 この公共の福祉に関する規定の抽象化、あるいは、後退は次のような結果をもたらした。
””建築基準法は建築主の財産権が優先される傾向にある、建築基準法は建築の自由という財産権をどう制限できるかとい線引きであり、居住者の保護という観点・生存権は直接 的な表現で示されていない。” 
 その結果”ナショナルミニマム(最低保障)が置き去りにされている、社会的弱者・居住者の保護、公共の福祉という観点が希薄である。”          
                    ‥‥平出小太郎「東京大学助教授」 建築環境から見た最低基準

   この点は前回のブログでも指摘したように、住宅を『人間の生存に欠かせない基盤』と考えず『商品』としてしまう、お寒い住環境の日本の現状がある。

  しかし考えるに、「最低の基準」にしても、「財産権の優先」にしても、住宅の住まい手がオーナー自身だとすれば、自分で自分の首を絞めているのに等しく、誰のための建築基準法であるべきかを真剣に考えべきだろう。
 かくして”資産にならない住宅”が、建築基準法に適法というお墨付けを頂きながらつくられ続けた。

 次回は、プロローグ その3 住宅政策の光と影  
です お楽しみに! ヨロシク(゚0゚)(。_。)ペコッ
  

2013年05月21日

住まいの潮流 プロローグその1

「時ノ寿木組の家」

NPO法人時ノ寿の森クラブと協働した山から始まる家づくりの提案


住まいの潮流 プロローグその1

”日本は、戦後約70年ほどかけて、なぜ資産とならない住まいをつくる続けたか…”



と問いかけの講演会を開催したのが、4月27日、あれから1ヶ月経つので記憶も薄れつつあるが熱い思いは変わらずにたぎっています。

 さて「時ノ寿木組の家」の家づくりは、何も資産価値のある家をつくることが目的ではなく、個人や地方が豊になる家づくりです。

 このプロローグでは、その意味を解き明かしたいと思いますが、何せ長文なので、3回に分けてUPします、まずは

        掛川の風景をつくる講座「資産になる家」 

の南先生の講演会の内容から始めたと思います。



 講演会は、500円にもかかわらず、予想に反して?58名の参加者がありました、「資産になる家」という表題が、資産運用とかの話と勘違いして来られた方もいたのかもしれませんが。



 ブログ冒頭に述べたように
”日本は、戦後約70年ほどかけて、なぜ資産とならない住まいをつくる続けたか…”
という問いかけを含んだ表題として”資産になる家”と表現したつもりだったが、誰もそこまで深読みしてくれた方はいなかった(当然というば当然だが)逆に”表題からして期待していなかったが、南さんの話は期待以上に良かった!”と評判は上々だった。


 2時間ほど熱弁を奮っていただいた講演の内容は多岐にわたる、講演の核心たる”なぜ日本では資産価値のない住まいをつくり続けたか”に付いては、南先生曰く”刺激的な話をしましたので、みなさん戸惑いながらも、新たな意欲をもったと思います”と感想を述べたが、参加者のみなさんは、どんな感想を持ったのだろうか。

 欧米式のモゲージローンと呼ばれる、物件担保ローンという住宅ローンとか、返済に窮したら、土地・建物を差しだせば、借金がなくなるノンリコースローン制度があることを知っただけでも有益だったと思う、同時に”命”を差し出さざるを得ない日本の住宅ローンのあり方には疑問を感じた方もいただろう。

 この辺は、日本の「住まう=居住権」に対する認識の遅れがあるという指摘もある、例えば1996年にイスタンブールで開かれた「国連人間居住権会議」では「居住権」という権利が存在するかどうかで白熱した議論がかわされ、国連は「ある」と宣言した。
 宣言では、世界共通の人権として
     ”適切な住居に関する権利”
               
という言葉がイスタンブール宣言に盛り込まれた。
 

日本はこれに調印したにもかかわらず、地位を問わない公平な金融機関であった公的な住宅金融公庫は廃止され、住宅ローンは証券化されて、市場原理で動く民間の金融機関に託された


  プロローグ第一部終わり。サンキュゥ♪(o ̄∇ ̄)/
次回第2部お楽しみに。 ('-'*)ヨロシク♪

下線部 「住宅喪失」 島本慈子著 ちくま親書 P79より  

2013年05月14日

単純な技術の組み合わせ・竹小舞+土壁

NPO法人時ノ寿の森クラブと協働した山から始まる家づくりの提案


 単純な技術の組み合わせ・竹小舞+土壁  

日曜日、竹小舞の体験会を開催、子供3名を含む15名が参加。

午前中、段取り悪さもあり、竹の採寸と小舞掻きの説明で終了してしまった。





 午後は3人で、一組1間×1間半の壁の竹小舞掻に挑戦、1壁は完成、3壁は残念ながら完成には至らなかったが、作業は終了した。









 マー 楽しく出来たから、作業の進捗は二の次。




複雑な技術 

 小舞は当然だが土壁の下地、小舞掻きは単純な作業の繰り返し、竹(笹竹と割竹)藁縄で編んで行くだけだが、根気強さが仕上がりの質を決める、壁自体はローテクな工法だ。
 
 現代のモノずくりは、複雑化した技術の組み合わせで構成されていて、ブラックボックスな世界だ。

 僕も持っているiPhoneなどスマートフォンは、複雑で挑ハイテクな技術の産物、でも壊れたら修理できるのだろうか、もちろん僕にはできないが、メーカーの技術者ならできるのだろうか?、だってネジが見あたらない。


 住宅はどうだろうか。 

日本にはハウスメーカーなる世にも珍しい企業がある、彼らのつくる住宅は、彼らの独自の技術で造られる、言えば、技術がクローズドされた世界の産物だ。

 ITほどハイテクな技術でないにしろ、竹小舞の世界よりは遙かにハイテクだ。

 よって、メンテナンスは不自由、竹小舞+土壁に変わる外壁材などの建材は産業廃棄物として廃棄されてしまい、環境に負担をかける。

 熱力学第二の法則に従えば、どんなモノでも、完成した先から壊れていく、秩序あるモノは、その秩序が壊れていく方向に作用する、複雑でも単純でも、ハイテクの産物でもローテクの産物でも同じだ。

 複雑・ハイテク系は、壊れたら直しにくい、修理しにくい、福島の原発事故は、我々にまざまざとそのことを知らしめた。

 単純・ローテク系はどうだろう、単純でローテクであるがゆえに、直しやすい、修理し易い、しかも近所の大工や左官でできるのだ。

 案外、近い将来にはこの単純・ローテクだが、左官の仕上げのように、深遠で幽玄なモノづくりの主流になりかもしれない。 

  

2013年05月05日

掛川の風景をつくる連続講座その2

掛川の風景をつくる連続講座その2 

さて、ゴールデンウイークあけの12日・19日は、掛川の風景をつくる連続講座その2:竹小舞掻きの体験講座です。

 体験内容は、竹小舞と呼ばれる、土壁下地をつくる作業です、以下は作業手順です。

1:間渡し竹と呼ばれる力竹を差し込む穴あを開ける。  
柱への穴あけはすでに終了、土台と梁・桁の穴あけは11日の土曜日に終了させる予定です。

2:ここからが小舞掻き作業です。
 まず、縦間渡し竹を梁桁と土台の穴に差し込みます、間渡し竹は、梁・桁と土台間の長さより10mmほど長いので、土台の穴には浮かせて固定します、これは荒壁を付ける際の施工と地震時の構造的な意味の両方の理由からです。
 縦間渡し竹は貫にステンレス釘で固定します。


3:次に横間渡し竹を柱の穴に差し込みます
間渡し竹は柱間の長さより20mmほど長いので、3尺間は柱を傷つけないように注意が必要です。

4:縦割竹をセットします。


5: 横割竹を縦間渡し、縦間渡しに縄(今回は麻縄)で編んでゆきます。
この時縦割竹が土台の接触しないように持ち上げながら編み込みます。



 
6全て編み込んで小舞掻けが終了、竹小舞壁完成。 


 小舞掻けの作業は、二人一組で行います、もちろん一人でもかまいません。
 少し単調な作業だけに二人の方が気が紛れていいかもね。

日時
 5月12日・19日の日曜日
 Am9:00~PM3:00頃まで。
 昼食は持参してください。
 事前申し込み Email info@shimizu-arc.jp  
        電話 0537-27-0576
 当日連絡先  090-3301-6145 清水