2020年10月28日

構造計算しない住宅は安全でないか?  仕様規定の問題点

構造計算しない住宅は安全でないか?  仕様規定の問題点  


 前回のブログで、構造の安全性は、まず理にかなったプロセスで構造計画がなされることが重要で、構造計算云々の話ではない、仕様規定でも構造計算をした建築と比べても何ら遜色ないと述べました。

 一方、方法で仕様規定(壁量計算)には大きな問題が三つあることが指摘されています。

一つは、仕様規定(壁量計算)で求める必要耐力は、構造計算で求められる耐力のほぼ3/4でしかないことです。
 計算においては、建物に作用する地震力などの外力の算定を求めますが、この外力の算定には建物の質量は必須です、質量が大きい建物はより大きな外力が作用しますね、例えば地震力F=mα(m:質量 α:加速度)でも明らかです。
 ところで、この質量の算出に当たり、構造計算で算出される質量に比べ仕様規定の根拠としている質量が小さく、これが原因で求められる耐力が3/4となると言われています。

 二つ目は、建築基準法で定められた地震の想定値と実際の地震の揺れに乖離があること、阪神、東日本、熊本とどれも想定値を遙かに超えた揺れが作用しました。
 震度階で言えば基準法では6強で「倒壊せず人命を救う」レベルを想定しているが、震度7の地震が多発している現状では現実的でないという指摘があります。

  三つ目は、仕様規定からは少し離れるが「建築基準法は最低基準」という事実です、最低基準であるので、基準法を遵守しても財産や命は守れない可能性があるし、必ずしも、法を守ればそれがすなわち最適解であるということではないと言えます。
 
 これら三つの事実を見れば、建築基準法は最低基準としいかにその向上を目指すか、クライアントの利益を図るか、コストと安全・快適はトレードオフの関係にあり、建築のプロとして建築士として、その基準をどこに置くは極めて重要であることがわかります。

 そしてこのきわめて重要な基準、判断のよりどころを「クライテリア」と呼んでいます。


時ノ寿木組みの家の構法のクライテリアの一部(出典 大工塾」加力実験ノートより)


 僕たち掛川の風景を創る会が提案している「時ノ寿木組みの家」のクライテリア=「その規範は何か」について、今後この「住まいの海図」のコーナーで明らかにしていきたいと思っています。
  

2015年10月31日

横浜マンションの傾斜 

横浜マンションの傾斜 

横浜のマンションが傾斜した問題の行方が注目されている、マンションの住民の方々の心労を思うと、建築界に身を置く身として忸怩たる思いで一杯だ。

 3次、4次下請けである旭化成建材と親会社の旭化成の対する風当たりはすさまじいい、杭のデータを改ざんしたことを考慮すれば、当然のことと思いもするが、元請けの三井住友建設や2次下請けの日立ハイテクノロジーは隠れたまま姿を見せない、最近、名前を知らないほど影のうすい国土交通省の大臣が、販売元の三井レジデンスを含めて6者に相応の責任が在るなどと、役人の入れ知恵のままをコメントしたが、これでは原因究明もおぼつかないと思ってしまう。

 建設業界は、一元支配型で生産・施工を行う、いわゆるピラミッド型だ、ピラミッドの頂点に元請けのゼネラルコンダクターと呼ばれる建設会社が1社立ち、一次、2次、3次、4次と下に行くほど広がり多数の業者が連なる。
 指示命令系統が一方通行で強い反面、丸投げやパワハラが発生しやすく、工期やコストの面でしわ寄せを多く受けると言われる。
 建設現場では施工側の品質管理者として、主任技術者という職責の監督が常駐する、今回も三井住友建設の主任技術者が常駐していたはずだ、今回くい打ちのデータを、くい打ち終了後にまとめて提出したとすれば、主任技術者は本来やるべき品質管理を怠ったと言うことになる、重大なミスといえる。
 しかし一方、作業員が意図的にデータを改ざんしたら見抜くことは至難の業だ、これをもって個人の責任かのような意見も多いが、そうだろうか、チームとして改ざんを許す施工体制に問題があったと言うことも事実で、主任技術者の責任は免れない。

 僕は、建設業界の一元支配型の施工体制が、不正を発生させる構図だと考えている、作業員も人でありプロだ、プロとして接し意欲を沸き立たせる様な体制こそが、良い品質の建物を造る、そして何より、元請け下請けのフェアな関係こそ不正を撲滅する方法だと思う。


 そしてもう一つ、建築主、設計者と監理者の責任だ。

建築は一般的に建築主が発注(お金を出す)し、施工業者が工事を行うが、この時建築主から委任を受けて監理者(設計者の場合が多い=だから施工者に取っては第三者)が現場の監理(建築士法第2条7=監理者の責任において、工事を設計図書と照合し、それが設計図書のとおりに実施されているかいないかを確認する)を行う。
 今回の場合は、設計者・監理者とも、施工者の三井住友建設内部の人間だと思われる。

 一般的(一般的の字句が多いのを許してください)に設計施工一貫体制の場合、現場の監理はおろそかになる=監理者がその者の責任において、工事を設計図書と照合し、それが設計図書のとおりに実施されているかいないかを確認することがおろそかになる…のだ。
 そういう意味で、品質管理上問題が発生しやすい設計施工一貫体制を促した建築主の責任も重大だと考える。
 一方、監理者は、建築主の利益に直結する立場の職責を担う重要な立場だと思が、あまりクローズアップされないのは、監理者の立場が軽いということにもつながり、それはそれで問題だ。

 よって、施工体制の改善と、品質管理の砦である設計と施工の分離が解決策だ、ここにメスを入れないで、個人に責任を転嫁したり、6者が相応に責任ありなどとのたまう影のうすい大臣には期待できない、これからもこんな問題がおきることは避けられない。


 これは何もマンションに限ったことでなく、住宅だって同じ構図(規模が小さいだけ)
だと思った方がいい。
  

2015年01月30日

>「この国」から希望が失われてゆくのか。

「この国」から希望が失われてゆくのか。


「日本人なら潔く自害せよ!」

 イスラム国により拘束された日本人人質に対して、facebook上で発せられたコメントだ。
自ら命を奪う行為には、どこにも潔よさなどない。
 しかし、臆面もなく、醜悪に死を強要する彼ら彼女は、イスラム国の輩と何ら変わりない、自分とこの国を辱めているだけだ。


 
 例えば、かつてサムライ階級には切腹という自殺の制度が存在した、サムライは名誉を何よりも重んじ、名誉が損なわれとき、サムライにとって自らの命を棄てるに十分な理由となった。
一方では、切腹は多くの複雑な問題解決の鍵でもあった。

"真のサムライにとっては、いたずらに死に急ぐことや死を恋いこがれることは、卑怯と同義であった……"と新渡戸稲造氏は、「武士道:三笠書房」で述べている。

 その実例として新渡戸氏は、一人の典型的なサムライを例に挙げている、その典型的なサムライとは、戦国末期に尼子氏に使えて武名高く、尼子氏の再興を願い各地を転戦した山中鹿之助である、名前を聞いた方もおおかろう、NHKの大河ドラマ:黒田官兵衛でも登場した。

 少し長いが「武士道」から引用する
 ”次々に戦いに敗れ……刀欠け、弓折れ、矢尽きて、ただ一人ほの暗い木のうろで空腹に耐えな兼ねている己を見いだし、……キリスト教徒の殉教者の不屈の精神に近し心境で一首を詠じて自らを励ました。

  憂い無のなほこの上に積れかし
      限りある身の力ためさん 

 あらゆる困苦、逆境にも忍耐と高潔な心をもって立ち向かう、これが武士道の教えであった……”

 
サムライの徳目に義・勇と共に仁がある、仁は優しく母のような愛だと新渡戸氏は説く。

 「最も剛毅なる者は柔和なるものであり、愛ある者は勇敢なる者である」は普遍的真理だろう。

 だから、仁の心根をもった者は決して「日本人なら潔く自害せよ!」などと突き放したりはしない、サムライの世界では、いたずらに死を強要することは卑怯者のそしりを免れないから。

  
 ”敗れたる者を慈しみ、傲れる者をくじき、平和の道を立つること
                            これぞ汝が業
          ウェルギリウス(古代ローマの詩人)

 同じ天をいただく同胞として、後藤さんが、ヨルダン人パイロットのムアーズ・カサースベさんとともに無事に救出されんことを心から願う。

 
  

2015年01月24日

>同胞の救出を願う

同胞の救出を願う

「イスラム国」と名乗るグループが、湯川遥菜さんと後藤健二さんと見られる人物を人質に取り「2億ドルを提供しなければ殺害する」と予告してから72時間以上を経過した。

 
 僕は「二人には自己責任はあるものの、政府には同胞を守る役割がある」と考える。
自己責任だからと突き放すコメントがおおいが、そんな国に未来はあるのか。


 そんななか、 東京都世田谷区に本拠地を置く在日イスラム教徒の団体「イスラミックセンタージャパン」は1月23日、Facebook上で、過激派組織「イスラム国」に対する抗議声明を掲載しました。

 強く「イスラミックセンタージャパン」を支持します。