2023年04月08日

「渡辺崋山と松風老人」

「渡辺崋山と松風老人」   4/7

無言で「冨峰驟雨図(ふほうしゅううず)」(*1)を見入る二人。
ヨシコはいたく感動したようだ、「冨峰驟雨図」の少々物悲しく寂しい風情が侘びなる美的な感情を発露させたのかもしれない。
 
 落款に「冨峰驟雨図 画為松風老人 時天保甲午龍潜月 崋山外史登」とあり、松風老人なる者の依頼で描いたと読み取れる。


「渡辺崋山と松風老人」

 ヨシコ
“松風老人って誰?
クニオ
“no idea  ”

シャカシャカ ふむふむ 
 
クニオ
“大庭松風(*2)、遠州第一の好事家とあるぞ!“
ヨシコ
“松風の依頼で描くってことは、崋山と縁(えにし)があるってことよね”
クニオ
“これは探ってみる価値がありそうだね”

ヨシコ
“崋山は山水画を否定していたようね、だから山水画の遺作は非常に少ないと言われているらしいよ、だとしたら、なぜ松風老人の依頼に山水画を描いたのだろう?”
クニオ
“だよね”

実際、崋山にとって山水画は観念的という考え方があり、そのような観念的なものを好む人物をも嫌っていた(*3)


しばし休憩し考え込む二人 …… 時は春 (ρД-)ねむーい …… 心地よい春陽が二人を夢路に誘う


クニオ
“やはり鍵は松風老人だと思うんだな…………崋山は、真面目で責任感があり勤勉、だから家老として推挙された“
ヨシコ
“谷文晁(絵の師)も、松崎慊堂(儒学の師)も同じ性向の人だった、でも松風老人は違った!”
クニオ
“松風老人は好事家にして遊び心のある人、すこぶる数奇な人だった”
ヨシコ
“絵に専念したかった崋山、しかし周りの状況が許さず、意に反して家老となる“
クニオ
“真面目ゆえに家老職における激務で、崋山の心は乾ききっていた!“
ヨシコ
“大庭邸に立ち寄り、親しく松風老人と言葉を交わす中で、乾いた気持ちに変化が起こった”
クニオ
“崋山は松風老人により、乾いた心を癒された“
ヨシコ
“なーるほど 秋風老人オアシス説ね“
クニオ
“癒された崋山は、頑なさがほぐれ観念的と嫌っていた山水画を描いたんじゃないかな”

春陽の夢路にまどろむ二人……松風老人と崋山の姿は何処!……すやすや、グーグー

(*1)冨峰驟雨図(ふほうしゅううず)
富士山の山頂に雪が積もり山腹より山麓にかけて雲海が樹木や家並を覆って激しく雨を降らせている、この情景を崋山は墨一色で濃淡をつけて描きあげ、遠近感を出している
出典 渡辺崋山全集(第一巻本画編) 作品解説より抜粋  郷土出版社

「冨峰驟雨図 画為松風老人 時天保甲午龍潜月 崋山外史登」
天保五年(1834年)松風老人のために描いたとある。
明治期に商家の山﨑家が所蔵し、菅沼貞三氏により紹介される。
出典「東海道の旅・駿河への旅」 作品解説より抜粋

(*2)大庭松風
東海道掛川宿の富豪大庭家の九代目大庭松風(明和4年から弘化3年)、松風は書画愛好の風流人、東海道をいく雅人で掛川を過ぎる時、大庭家に立ち寄らない者はなかったという、谷文晁もしばし逗留した、滝沢馬琴はその著書「羈旅漫録」の中で遠州第一の好事家と述べている。
松風はその書画蒐集においても有数のコレクターと言われている、絵は黒梅図を得意としていた。
   出典 UAG 美術家研究所 遠州第一の好事家 大庭松風 
               
(*3)崋山の山水画に対しる考え方は、弟子の椿椿山にあてた手紙「絵事御返事」の中の「山水空疎」という言葉がよく知られている。 
出典 渡辺崋山全集(第一巻本画編) 崋山の山水画論 日比野秀雄 郷土出版社

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