2016年01月27日

”味噌も糞も一緒にする現代人”  


 時ノ寿ワークショップの城さんの話題の最後は「味噌・糞とエネルギー」について。

 前回でも取り上げたが、城さん言わせると現代人は”味噌も糞も一緒”らしい。
 道理がわかっていないと言うことだと、昔の人は知恵があった、味噌も糞も同じ作用で起こる現象だが、その過程でエネルギーを獲得する仕組みを持つ現象が味噌になり、エネルギーを失うと糞になることを知っていた、知っていたと言より観察できていた、観る力があったいうことだろう。



 さらに、城節が続く、エネルギーを物質と捉えるから間違える。
   それジャー、エネルギーって何でしょうか、それは”気”なのだと城さん。

  日本の、日常と非日常を暮らしの上で区別する民族的な世界観に「ハレ」と「ケ」がある、「ハレ」が祭りなどの非日常で、「ケ」が普段の生活である日常を表していると言われている。

 建築評論家であった川添登氏は「木の文明の成立・NHKブックス」で、持統天皇の吉野への31回/9年間の行幸を、自ら創った藤原京にいると神聖が失われるため、吉野にこもって神聖を身につける行為であり、まさに、藤原京の日常は「ケ」=気が枯れる=ケガレに他ならないとし、民族学の「ケ」が続くと気が枯れてケガレる、それを払うのが「ハレ」であったと指摘している。

「ハレ」、まさに吉野に身をゆだねる=神聖、エネルギーを入れる行為だったのだ。


 「人間も他の生物もエネルギーを失う=気が枯れる=ケガレる=生命力が弱まる」

”味噌も糞も一緒にする現代人”  
 
 現代では石油・石炭・ガスなどを貴重なエネルギー資源(目に見える物質)として、世界で争奪戦を繰り広げきた、しかし見方によっては、現代人・現代社会は物質のエネルギーに囲われて、本来の人間・社会の生命力を弱めてきた20世紀だったかもしれない。
 
 城さんの炭素循環農法(=味噌)は、石油由来の肥料や農薬に依存する作物(=糞)を中心に食する現代人に対する警鐘と捉えるべきかも。

どうもまとまりのない文章で気が枯れたらゴメンナサイ

 さてお知らせ。
 次回の時ノ寿の森ワークショップは2月14日です。



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